十八回目の夏



 たんたん、と廊下を歩く音が軽快に聞こえた。

「おかえりなさいませ、幸村さま」

 ただいま帰った、と言って、幸村の着物をたたんでいたの向かいに幸村は腰を下ろした。 先刻お館様から急ぎの用件があると言われたため、 何かあったのかもしれないと駆けつけて行った幸村が今帰宅したのだった。

「なにかあったのですか?」
「うむ、戦が始まるらしい。某も出陣することとなった」
「そうなのですか…。それでは準備をしなくてはいけませんね」

 突然の戦にも動じることのないのは慣れであろうか、はさも当然のように、そして思案するように言った。 この前の戦も突然のことだったというのに、は幸村の参戦の準備を完璧にこなしてみせていた。 あっという間に準備が整う様をただ呆然と見つめ、さすが幼い頃から同じ時を過ごしただけある。 ふと数えてみれば十八年目となる彼女との付き合いを思えば、それは当然のことだと幸村は思う。
 あれこれと思案している間にもの手は止まることなく動き続けている。

「いつごろはじまるのですか?」
「あと十日ほどで出陣の予定だ」
「それは大変ではないですか。今すぐ準備しなくては…」
「いや、まだ良いだろう。十日もある」

 目の前の着物をたたみ終えて、すぐさま戦の準備へと取り掛かろうとは立ち上がった。 しかし、それを幸村がやんわりと止める。 それにが逆らうことなどないと知っている幸村はただ笑って座るように促した。 幸村の思っていた通りに、は少し驚くような表情を見せはしたもののすぐに幸村の言うことに従った。

「どうかいたしましたか?」
「いや、大したことではないのだが」

 幸村は嬉しそうに微笑んだ。
 どこか落ち着いた柔らかな雰囲気がふたりを包み込んでいた。 日ごろからこのふたりの間には何か特別な、暖かなものがあって、それは彼らの周りにいる者をも和ませた。 家族でもなければましてや恋人でもない。 言葉に表すとすれば彼らの関係はただの主従関係なのかもしれない。 それでも、その中には幼い頃から共に同じ時を歩んだ暖かな思いが詰まっていた。 お互いが言葉では言い表せないかけがえのない存在なのである。

殿が風邪で寝込んでおった日の晩に感じたのだが」
「はい」
「もう秋は間近までせまっているようだな」
「お月見の準備をしなければ、ですね?」
「…やはり某の考えはすべて見通し済みだな。でも、それだけではないのだ」

 は首をかしげた。 その様子を幸村は満足げに見つめた。

「また一緒に新しい季節を迎えられることが嬉しくて、殿に一番に知らせようと思った」
「…はい」
「某はいつ新しい季節を迎えられなくなるか分からん故に」
「幸村さま、そんなことをおっしゃってはいけません」

 は辛そうに、そして悲しそうに顔を顰めた。 戦となれば幸村の見えないところで不安げな表情をしている彼女のことを、幸村が知らないはずはなかった。 もはや彼が戦に参戦することも当然となってしまった今であってもそれはかわらない。

「すまない。某は殿に迷惑をかけてばかりだな」
「いいえ、そんなこと…」

 まっすぐな幸村の瞳がのそれを捕らえた。 それに応えるように、はふんわりと微笑んだ。

「幸村さま」
「なんでござるか?」
「秋にはお月見団子とあったかいお茶を用意しております」
「…ああ」
「ですから、早く帰ってきてくださいね」

 一層微笑みに深みを増して、が言った。 そんな彼女を見て、幸村が嬉しそうに頷くのはすぐだった。

「約束でござるな」
「はい、お待ちしております」

 幼い頃から一度も幸村が約束を違えたことがないことをは知っていた。 だからこそ、今交わした約束もきっと果たされるだろうことを思って、 はもうすぐそこへとせまっている秋へと思いをはせた。

 ふたりにとって十八回目の夏はもう終わりを告げようとしていた。



(08.07.25)
(月見団子が楽しみでござるな!佐助!)
(あー、もう、なんだっていいよ!)

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