蝉時雨に



溶け込んだ会話



殿、どこへ行かれるのだ?」

 久しぶりに袖に手を通した外行き用の着物に少しながらも心踊らされている自分がいることに、 は内心笑ってしまった。 一生を主のために捧げたとは言っても、所詮一人の女子なのだ。 一年中めかしこんでいるお姫様とまではいかなくても、やはり洒落こんで出かけることが好きなようだった。 出かける、と言っても身の回りの日常の品や主のための甘味などを調達しに行くだけなのだが。 それでもわくわくしてしまう辺り、は町娘と変わらぬ若者だった。
 準備を整えいざ出発という時に、玄関先でやんわりと声をかけられた。 その声の主は真っ赤な着物に身を包んだの主で、どうやら暑いらしく額からは汗がうっすらふきでていた。

「少し城下町へ。買い物をしなければならないので」
「そうか、それは良い。久しぶりだろう、ゆっくりしてきたらいい」
「ありがとうございます、幸村さま」

 嬉しそうにが笑うと、幸村も自然と笑みを浮かべた。 が買い物好きであることはもはや幸村も知る周知の事実で、 月に何度かしかないこの機会を彼女がたいそう楽しみにしていることは分かりきっていた。 彼女がこの城の外へ出ることなどこの買い物の機会以外、ほとんどないことだ。 たまに幸村のわがままにつき合わせて、行きつけの甘味所へと行くことはあるのだったが。
 幸村はふと思いついたように言葉を発した。

「うむ…、某もお供いたそう」
「え?」
「最近この辺も物騒だと聞いた。殿一人では危険だろう」

 まるで名案だと誇らしく言い張る幸村に、は大きくため息をつく。

「いけません。大体、幸村さまにはお仕事があるはずです」
「い、いや。それは明日でも出来る仕事な故…」
「それに城主たるもの軽々しく外出するものではありません」
「しかしだな…!そうだ、某も城下町で買いたい物があったのだ」

 大方、幸村の買いたい物とは団子なのだろうとは思った。 そして、こうやって駄々をこねはじめたら何が何でも実行に移そうとする幸村を思って、 大変なことになってしまったと肩を落とした。

「言ってくだされば、私が買ってきます」
「いや、荷物が増えて大変でござる!それに、某が行けば荷物持ちになるだろう?」

 それは確かに嬉しい、とが表情に出したのを幸村は見逃さなかった。 それでは決定だ、と言って嬉々として自分の草履を履いた幸村に、 はこれ以上何も言うことが出来なかった。 確かに最近彼とて休みなどないも等しいものだったので、たまにはいいのかもしれないとは笑った。 多分、この様子もしっかりと見ているのであろう佐助からは後から(もちろん幸村が)お咎めをいただくこととなるだろうが。
 草履を履き終えて幸村は家の中を振り向いて一言叫んだ。

「佐助、某は少し出かけてくる。留守を頼むぞ!」
「ちょ、旦那!」

 言うなり玄関から飛び出してしまった幸村の姿を見て さすがの佐助もびっくりしたのだろう、慌てて飛び出てきた。 あーあ、とがっくり肩を落として呆れたようにため息をついた佐助に、 は少なからず同情した。 彼女とて幸村に振り回されているのは同じなのである。

「すいません、佐助さま。よろしくお願いいたします」
「うん。ちゃんもごめんねー。くれぐれも旦那をよろしく頼むよ」
「はい。分かっております」

 お互い疲れたように笑って、各々の目的への歩き出した。

 より一足先に飛び出した幸村は早く早くと彼女を急かしていた。 しょうがない、とは急いで彼の元へと駆け寄ったが暑さと日ごろからの運動不足が祟り、 わずかな距離だというのにの息は上がってしまった。 の表情を見て、幸村は気遣うように彼女の顔色をうかがった。

「す、すみません。大丈夫です」
「しかし、なんだか息が上がっておるぞ」

 幸村に指摘されていることはまさに的を射ていたため、 は乱れた呼吸を整えるために一度深く深呼吸をした。

「いえ、もう日陰ですから大丈夫です」
「そうか、なら良いのだが」

 にこりと笑って、幸村はゆっくりと歩き始めた。 もそれに合わせてゆっくりとその後ろをついていく。 幼い頃にもこんなことがあったな、なんて思い出しながら。
 夏の日差しは一向に緩まらないものの、今は木々が日陰を作ってくれているため幾分か暑さはやわらいでいるように思う。 それでも、幸村からもからも額からは汗が流れ落ちる。

「昔もこんなことがあったでござるな」
「はい。あの頃は内緒で出かけてたので怒られましたけど」
「そうであったな。某がどうしてもと言って殿を連れ出して…」
「結局佐助さまに見つかってふたりして怒られましたね」
「…某はお館様にぶたれたでござる」

 幸村は思い切り顔をしかめた。 お館様は幼かった幸村に容赦なく、思い切り拳骨を食らわせていた。 今でもそう変わりないことだが、やはり幼い身体であの威力を受け止めるのは相当痛かったらしい。 ぶたれた後の幸村はその痛さ故にしばらくその場にうずくまっていた。 ちなみには幸村が強引に連れて行ったと言うことと、 女の子であったことからお館様からの拳骨はなんとか免れたらしい。 しかし、そのかわりにお小言はしっかりといただいていたが。

「なんだか懐かしいですね」

 はふわりと目を細めた。 幸村も同じ気持ちらしく、同じように微笑んでいた。

「このようにまた殿と並んで出かけられて、某嬉しいでござる」
「はい、私も嬉しいです」

 ふたりの会話を打ち消すかのように蝉の声が響き渡っていた。 夏の日差しに照らされながら、それでも気分は何故か清々しかった。
 またこのような機会があればいいのに、とがぼそりと呟いた言葉は蝉時雨に溶け込んで、 彼女と夏の空だけが知る秘め事となった。



(08.07.21)
(ああ、すまん佐助。佐助の分の団子は食べてしまった)
(…わかってるよ、いつものことだもん)

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