直射日光を
浴びた背中
何かさえぎるものが欲しいと常々思う程に日差しは容赦なく照り付けていた。
夏らしいと言ってしまえばそれまでだが、時より肌を撫ぜるように通り過ぎる風は涼しいものの、
やはり歴然として暑さは厳しいものだった。
は打ち水でなんとかそんな暑さを少しでも和らげようと試みていた。
「あれ、ちゃん。暑いのにご苦労様」
「佐助さま。いえ、暑いからこその打ち水ですよ」
任務帰りの佐助がひょっこりと顔を出して、の苦労を労った。
さすが忍びと言うべきか、この炎天下の中彼の表情はまったく暑そうなそぶりも見せずに、
それどころか額に汗一つかいていない彼はまるで超人のようだ。
まったく涼しげな、暑いのを隠しているだけなのかもしれないが、
佐助の表情をはちょっぴり恨めしげに見やった。
「でも、うん、ほんとこんな暑い中でよくやるよ」
「佐助さまはちっとも暑くなさそうですけど」
「こう見えても実は暑いんだって!忍がそれくらい隠せなくてどーすんの」
「まぁ、それもそうですね」
はくすくすと笑ってみせた。
そして、止め処なく額から流れ落ちてくる汗を首からかけていた手ぬぐいでぬぐった。
「暑いと言えば、ほんとこんな暑い中旦那もよくやるねー。俺様には無理」
「え、幸村さまですか?」
「ん?気がついてなかったんだ。ほら、あそこ」
あそこ、と佐助が指差す方向には全身真っ赤な装束を身に纏った幸村がいた。
鍛錬中なのだろう、自分の槍を手に何度も何度も素振りをしている姿があった。
こちらからは丁度彼の背中しか見えないため、幸村自身は一向にこちらに気がつく様子はない。
何もわざわざこんな強い日差しの下で鍛錬なんてしなくても、といつも思うが幸村曰く、
その程度の暑さで参っているようではお館様にしかられてしまう、だそうだ。
確かにお館様はこの日差しと同じほど、いやそれ以上に熱い方だが。
むしろ、それを実行している幸村自身が一番熱い人なのではないかとは思う。
「毎日毎日よくやるよ、ほんと」
佐助は思わず苦笑した。
「お着替えと冷たい物を用意しなければいけませんね」
「さすがちゃん」
「いえ、いつものことですから。佐助さまもいかがですか?」
「俺様は遠慮しとくよ。旦那ってば忍の扱い荒いもんで…」
その割には給料が少ない、と佐助はよく幸村に講義してみるが、
通じているのか通じていないのか、何度講義しても結果は相変わらずだった。
ひとつ大きなため息をついて、佐助は颯爽との前から姿を消した。
きっと、仕事へと向かったのだろう。
佐助が去った後、も幸村の着替えと何か冷たい物を用意しようと水の入った桶を手に持った。
そして、もう一度幸村に視線を戻した。
鍛錬を続けている彼の姿は年中変わらない。
それが例え今日のように暑い日であろうとも、冬の寒い日であろうとも。
鍛錬に勤しむ幸村の背中は何度となく見てきたが、なんだか少し大きくなったように感じた。
それは幼い頃からずっと一緒にいて、鍛錬の時でさえも傍で彼を見守っていただから感じることなのだろう。
自分より長身な槍がうまく扱えず、何度もしかられながらも鍛錬に取り組む彼の姿はもうなかった。
鍛錬の途中、失敗して怪我をしてはくやし涙を見せていた小さな彼の背を見ることはもうないのだと思うとは少し寂しかった。
視線を感じたのかなんなのか、幸村が突然鍛錬の手を止めてこちらを振り返った。
そして、の姿を確認するなり嬉しそうに手を振ってに近づいた。
「殿!どうかしたのか、このような暑い中」
「少しでも涼むように打ち水でも、と思いまして」
「うむ、それはいい考えだ。某も手伝おう」
「いえ、もうこの辺は終わったので幸村さまは休憩なさっててください」
「そうか?」
「はい、それに幸村さまの着替えと冷たい物を用意しようと思ってましたので」
がそう言うなり幸村の瞳の輝きが一層増した。
おそらくは冷たい物に反応したのだろう。
鍛錬の後はがいつもなにかしら甘いものを用意してくれていることが、
幸村の中ではいつの間にか決まりごととなっていたらしい。
こういうところは相変わらずな幸村を見て、はふわりと笑った。
「今日は先日お館様からいただいた水饅頭ですよ」
「うむ!それは楽しみだ」
「ちゃんとお着替えなさってから、召し上がってくださいね」
わかった、と嬉しそうに幸村は呟いた。
着替えのことまで言わなくても良いだろうとも思わなくもないのだが、
いかんせん彼にはどこか抜けている節があるため、も早々気を抜いていられない。
幼い頃、幸村が城下町へ団子を買いにいくと言って勇んで出かけたは良いが、
肝心な財布を忘れてしまい、町へ下ってまた城に戻り、
そしてもう一度町へ出かけなければいけなかったという事件もあったほどだ。
何もできないと言ってはいいすぎかもしれないが、
がいなければ何かしでかすことは目に見えていた。
「今日の鍛錬はもう終わりですか?」
「ああ。今日は朝もやっておったからな」
「そうですか。それでは、私もすぐに準備してまいりますね」
「うむ、頼んだぞ」
着替えはいつもの縁側に出しておきますから、と言い残すのを忘れずに、
は家の中へと向かった。
の知らない、夏の日差しを浴びた背中は広くて力強くて、
それでも確かに変わらないものがその中には存在していたことが、なんだかとても嬉しかった。
の道中の足取りは軽やかなものだった。
(08.07.21)
(お館様がくださった水饅頭は天下一でござる!)
(あーあ、また始まっちゃったよ。旦那ってば)
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