浚う夕凪 風が頬を撫でるように降り注ぐ。 その柔らかなものとは正反対に、ぎらぎらと照りつけるのは真夏の太陽。 それらを嬉しそうに浴びながらひらひらと踊る草木の音色の中、 私たちは熊野を散策していた。 鎌倉殿から熊野の協力を得よとの命が下ったらしかった。 そう、先刻まではそのために本宮への道のりを進んでいたのだ。 しかし、本宮まであともう少しのところで怪異に出くわしてしまい、今の現状に至る。 女人に化けた怨霊があろうことか後白河院のお側で身を隠している、 なんてなんとも不都合なことになって手も足も出せずに、 一行はただ後白河院と怨霊の様子を窺うことしか出来ずにいた。 「、少し良いだろうか」 暇をもてあましている私に声をかけたのは昔なじみの姿だった。 「うん、もちろん。どうかしたの?」 「いや、どうかしたわけではないのだが」 敦盛は私の隣に少しだけ距離をとってすとんと腰を下ろした。 そんなところは、随分前に離れてしまってから三草山で再会するまで 会っていなかったというのにまったく変わっていなくて、思わず笑ってしまう。 私が笑えば不思議そうに私の顔を見て首をかしげる敦盛も、幼い頃に見慣れた光景だ。 幼い頃と違うことといえば、私たちが少しだけ大人に近づいたということと、 この場にヒノエがいないことくらいだろうか。 「なんか、懐かしいね」 「ああ。よく三人でここに遊びに来た」 子供だった頃の記憶はこの熊野の地に、十分すぎる程刻まれている。 楽しかったことも、悲しかったことも。 この土地で育ってきたすべての記憶が詰まっていて、それは私にとってとても大切なものだ。 熊野で育った人間すべての想いを守っているのは、もう一人の大切な幼馴染だ。 「ヒノエも来たらいいのになぁ」 「別当の仕事が溜まってるのだろう。ヒノエも大変なようだ」 そういえば、ここ数日ヒノエが慌ただしく烏と何か話したりしているのを見ていた。 きっと、溜まりに溜まった仕事の山たちがヒノエを襲っているのだろう。 「かわいそうに」 「いや、ヒノエも熊野のことだから苦痛には思っていないはずだ」 「そうだろうけど」 いつからだったか、ヒノエは私や敦盛と遊ぶこともなくなり、別当としての仕事を学ぶようになった。 そして、いつの間にか熊野別当として熊野を背負うヒノエがいた。 私もヒノエと遊ばなくなってからは今までサボっていた分を取り戻すかの如く舞の練習に励むようになったし、 今では後白河院に目をつけられるほどにまで舞の実力をつけた。 敦盛は敦盛で、平家の屋敷で武人としての教育を受けていたのだろう、なかなか会う機会がなくなった。 「」 敦盛が心配そうに私の顔を覗きこんだ。 「何か悩んでいるのではないか?」 「…悩んでるように見える?」 「少なくとも、私にはだが。きっとヒノエも気がついている」 長い間会っていなかったけれど、敦盛のこういう優しいところはまったくかわっていない。 なんだかそれがとても嬉しい。 「やっぱり幼馴染殿にはかなわないか」 私は軽く笑って立ち上がった。 「ねぇ、敦盛!今度はヒノエと三人で海に行こうね」 「…ああ」 敦盛も私に続くように立ち上がって、ふんわりと笑った。 言葉にしなくても敦盛は私が沈んでいる理由なんて分かっている気がする。 だからあえて言葉にはしなかったけれど、敦盛もそれ以上は追及してこないから、まぁ、良しとしよう。 きっと、私の子供っぽいわがままだって分かっている上で、敦盛は私に付き合ってくれるんだろう。 今はここにいないもう一人の幼馴染殿もそうだ。 呆れた顔を見せた後には必ず、仕方ないね、なんて言って笑ってくれるんだから。 「さて、宿に帰ろっか。望美戻ってきてるかな?」 「将臣殿の所へ出かけているのだったら、少し遅くなるのではないだろうか」 「そうだね。普段あんまり会えないから嬉しいだろうね」 「ああ。神子ももちろんそうだが、きっと将臣殿も嬉しいだろう」 「そりゃあそうだよ!なんたって、幼馴染だしね」 にっこりと笑って見せれば敦盛も同じように笑って、どちらからともなく宿に向かって歩み始めた。 「なんだい二人とも。揃って俺を誘わないなんて」 宿に着いてみれば、どうやら別当の仕事を片付けたヒノエが、 彼曰く男ばかりでむさ苦しい部屋(朔は譲と夕食の買い物へ出かけているようだ)で腰掛けていて、 私と敦盛に恨めしげな視線をよこしてきた。 そんなにどこか行きたければ自分一人ででも出掛ければ良いのに。 でも、きっとそれをしないのはヒノエが仕事で疲れきっているからに違いない。 それを考えて、ごめんねとだけ言ってヒノエの隣に腰掛けた。 「それにしても白昼堂々と逢瀬とは、敦盛もなかなかやるね」 ヒノエはお得意の艶やかな表情を敦盛に向けた。 「…ヒノエ、私とはそのような関係では、」 「ちょっとヒノエ、敦盛を困らせるような発言しないでよ」 「悪いね、こういう性分なのさ。知ってるだろ?」 悪びれもせずに笑うヒノエは幼い頃からまるで変わらない、ただのいたずら少年の面影。 ヒノエが気を許す人にしか見せない表情だ。 そこには別当なんて言葉は微塵も感じさせない、私たちの幼馴染の姿があった。 こちらの姿の方がめずらしい、なんて寂しい気がしてならない。 どんな表情をしていようとも、ヒノエはヒノエでしかないのに。 「ヒノエは性質が悪い」 「敦盛、お前も言うようになったじゃん」 こうやって私や敦盛の前でいたずらっぽく笑うヒノエも、 私やヒノエの前では口数の多い敦盛も、 そしてヒノエや敦盛の前ではどうしても子供っぽくなってしまう私も。 もう、それは自分を構成するただの一部であるということを理解しなくてはいけない。 私だけずっと留まっているわけにはいかないのだ。 ヒノエだって敦盛だって、もう既に前に進んでいるのだから。 「なんか、二人とも子供の頃に戻ったみたい」 敦盛と交わした約束はそう遠くないうちにきっと果たされるだろう。 私はそこでこのわがままな自分とさよならしようと思う。 海はこのわだかまりをすっきり流してはくれないだろうから、 私は自分でなんとかしなくてはいけないけれど。 二人がいてくれればなんとかなる気がするのだ。 いや、これは予感ではなく確信である。 「おい、。俺のどこが子供だって?」 「自分の心に手をあてて、考えてみなさい」 「…二人とも」 きっと、新しい何かが生まれたとしても、私たちの間には変わらないこの関係があり続けるだろうから。
(09.01.23) |