僕が見る限りでは、彼の機嫌はすこぶる悪かった。 といっても、親友である僕が見なくとも気分屋である彼の機嫌の良し悪しは、誰もが一目見れば分かるのだけれど。 機嫌が優れない彼の姿を見ることは、そうめずらしいことではないが、 今日、この日にこんな彼を見ようとは、きっと誰も思っていなかったはずで。 年中お祭り男と称される彼、菊丸英二にとって、今日はこの世に生を受けた日である。 そんな日に、こんな浮かない顔をしている原因は、彼の一番の理解者といって良い恋人にあった。 「ちょっと、英二。もうそろそろ機嫌直したら?」 「不二、お前までそんな薄情なこと言うわけ」 相変わらずむくれた英二の姿に僕は同情しないわけでもないけれど、 朝からずっと不機嫌なオーラを出され続けては、はっきり言ってうっとうしい。 痺れを切らして声をかけても、彼のむくれた表情は一向に変わらずじまいだった。 そろそろが動いてくれないと、本当にこのまま一日僕は英二の怒りの餌食とならなければいけなくなる。 それは、御免被りたい。 「だって、そのまま一日過ごすつもりなの?」 「が悪い。あんなにへらへらしてさ!」 「まぁ、そこは同情してあげるけど。もそんなつもりじゃなかったと思うよ」 「それでも、あれは立派な浮気だね」 英二が言う、浮気、というものが彼の怒りの発端であった。 昨日の放課後のことだった。 昨日はたまたま僕と英二が受験勉強の息抜きといって、久しぶりにテニス部に顔を出しに行ったのだった。 はその勇姿を見ておくことになり(一方的に英二が一緒に帰りたがったためである)、 邪魔をしては駄目だから、とコートの外にある割と日が当たって暖かいベンチに腰掛けていた。 そこまでは、英二の機嫌の損ねることは何一つ起こっていなかったのだ。問題はその後。 僕と英二がコートでラリーをしている間、これ見よがしと不穏な影がに纏わりついた。 僕も英二も、最初は久しぶりのラリーに夢中で気がつかなかったけれど、 ふとした拍子に目に入った、そこにはいないはずのオレンジが目に入ったことではっとその状況に気がついたのだ。 あの山吹中の千石がに、おそらくメールアドレスが書かれているだろうそれを渡した瞬間を。 そう、それはものすごくバットタイミングだった。 英二がその光景を見て怒らないはずは無く、一瞬にして怒りを露にする結果となった。 そして、その怒りが冷めることはなく現在の状況に至る。 「英二、」 とても控えめに、僕や英二のものではない透き通ったソプラノの声がその名を呼んだ。 だった。 彼女の表情がとても泣きそうに見えるのは僕だけじゃないはずだ。 「なに、言い訳ならもういいから」 「だから言い訳もなにも、私は最初からそんなつもりは無かったって言ってるじゃない」 「だったらなんであんなヘラヘラしてたわけ?」 「…あれは、あの人が英二の友達だっていうから」 「俺の友達だったら誰にでもヘラヘラするって言うのかよ」 「そんなこと一言も言った覚えはないんですけど」 どうやら事態は一変して本気の喧嘩体制となったようだ。 しかし、それは僕に言わせればバカップルのじゃれあいもしくは痴話喧嘩、 また他で言うとするなら英二のヤキモチにしか見えなかった。 なにはともあれ、が泣きそうなことには変わりは無いので、 とりあえず助け舟を出してやることにした。 「英二、もういい加減許してあげたら?それに、怒る相手は千石なんじゃないかな」 「…なんか、言い返しにくいんですけど」 「まぁ、英二が僕に反論できるほどの知恵がないことくらいわかってるけど」 「むかつくけど、反論できない。確かに、俺が怒るべきは千石だった」 一瞬にして雰囲気が和やかになる。喜怒哀楽が激しい英二だからこそ成せる業なのかもしれない。 素直な所は彼の長所なのだ。ただ、今回はそれが裏目に出て感情を露にしてしまったけれど。 も、そんな英二を見てほっとしたのだろうか。 先ほどよりはいくらか安心したように見えた。 それもつかの間、英二がに向かって右手を差し出した。 何かを催促しているかのように。 「仲直りのしるしに誕生日プレゼント、ちょうだい」 僕はこれで今日のこの苦労は終わったのだ、と思っていた。 英二のこの言葉で青くなったが、次の言葉を発するまでは。 「英二、あのね、本当にごめん!」 「…え?」 「昨日の帰りに買って帰る予定だったんだけど、 ほら、英二が昨日は怒ったままだったからそれどころじゃなくて…」 確かにの言うとおり、昨日の帰り道の英二の怒りは尋常ではなかった。 のことどころか僕のことまで無視して数メートル先を歩き、 別れ際なんかは始終無言だった。 きっと、はそんな英二のことが気がかりで誕生日プレゼントのことなんか頭から消えうせていたのだろう。 英二は(自業自得だけれど)相当なショックだったようで、しゅんと肩を落としてうなだれた。 「もういいよ…。不二からもらうから、な、不二」 可愛そうな生贄の羊はプレゼントをどうしようか悩んでいる。 親友にすがるように言われてしまっては僕だって最高の誕生日の贈り物をするしかないじゃないか。 僕が贈れるもので最高のものはこれ以外にはまったく思いつかない。 ぼーっと突っ立ったままのの背をトンと軽く押して、英二の胸の中に押し込める。 びっくりして丸くした目を僕に向けてくる二人の姿を見ていると、 なんだか今日一日の苦労分のツケはなかったことにしてあげようと思うくらい僕は優しい気持ちになれた。 やっぱり二人は仲がいい方が良い。 「とりあえず、次の授業分くらいの言い訳は作っといてあげるけど」 英二はまだ仲直りしたばかりで気持ちが複雑なのか、ちょっぴり苦笑していたけれど、 次第にいたずらっぽく笑っての腕を取って教室を後にした。 僕は二人の背を見送って、ふたりぶんの言い訳をどうしようかと優しい余韻にひたっていた。
(07.11.28) |