「おい、。泣いてんのか、お前」

 雨が降っていた。梅雨を思わせるその音も、匂いも、なにもかもを遮断してしまったかのように、 私はブン太の言葉を流した。今なら雨が流してくれそうな気もしたのだ。 梅雨の象徴である紫陽花の花は、雨の雫がその花びらに触れるたびに踊っていた。 蜉蝣のような切なさと、神秘的な美しさを兼ねそろえているけれど、今は切なさが勝っていて寂しかった。 それは、今の私の心境とどこか似ている気がした。

「なぁ、
「なに」
「お前、やっぱり泣いてるんじゃねぇかよ」

 顔は机の上に置かれたタオルに預けられているのに、どうしてそう断言できるのかわからなかった。 そう思わせるくらい、少し怒ったような、心配してくれているような声色はまっすぐだった。 きっと、声色と合わせて表情も少し困ったように歪んでいるのだろう。 これも、私が顔を上げていないからわからないのだけれど。

「なんでそうやって断言できるのよ。私、顔一回も上げてないのに」
「声が震えてますけど」
「これはビブラートなんです」
「うそつけ。歌ってもないのにビブラートが出るかよ。第一お前音痴だろぃ」
「……もう、ほっといてよ」

 深いため息がこぼれた。 確かに、私は歌うことに関しては人並み以下程度の才能しか持ち合わせてはないけれど、そういう問題じゃない。 わかっているのだったらほっておいて欲しい、と。 私の心の奥底から湧き上がってくる真っ黒なものが、苛立ちを増幅させるのだ。 そうだ、ブン太はなにも悪くない。私を心配してくれているのだから。 でももうそろそろ開放してくれないと、理性で制御するのはそろそろ限界だった。 きっと、普通に受け答えをすることなんてできなくなるだろう。 今はもう雨が降り続いている音しか聞こえない。

、顔上げろって」
「いやだ」

 やっぱり私は歌がへたくそだ。ビブラートというよりはもうしゃくり声だった。 歌どころではない、もう言葉を紡ぐことでさえままならない。 自分の言葉まで失ってしまっては、もはや声をなくしたカナリアも同然だ。 私はそんな悲劇のヒロインなんてまっぴらごめんだった。 だからこそ、目の前にいるであろうブン太の言葉に返答しているに他ならなかった。 人の前では意地でも涙なんか流すもんか。


「……な、に」

 それなのに、ブン太の言葉はなぜだか温かい気がして、自然と雫が頬を伝うのだ。 すべてを包み込んでくれるような、そんな感じがする。 それは、ただ彼が言葉を紡ぐことが上手なだけなのだろうか。よくわからない。

「ほら、来いよ」

 ただ分かることは、手を少しだけ広げたブン太の胸が温かいということだけだった。



ブン太はぶっきらぼうでも言葉に優しさをのせることができる子だと思います。
( 07.07.13 )