「ヒカリはさ、好きな人いないの?」


口に運ぼうと持ち上げたティーカップが、思わず中途半端な所で止まる。 きっと傍から見れば、それは暖かな昼下がりの、何気ないワンシーンだっただろう。 ただ、キャシーが放ったその一言が、ヒカリにとっては予想外だっただけのことで。 キャシーの期待に満ち溢れた視線を受け、ヒカリは誤魔化すように飲みかけのミルクティーに口をつけた。

彼女の言う、好きな人とはつまり、そういうことだろう。 愛とか恋とかそういうことは、ヒカリにとっては未だに未知の領域だった。 ヒカリにとって、この町の住人はみんな好きに分類される。 ただその感情が、キャシーがオセに向けるそれとは違うものだということだけは知っていた。


「いない、と思う。好きっていう感情がよく分からないから」
「じゃあ、気になる人とかは?」


キャシーの更なる追求に、ヒカリは思わず眉を下げた。それでも、彼女の追及は止まない。


「ヒカリの噂、いろんなところで聞くんだよ」
「噂?」
「最近誰かさんととてもいいムードじゃないか」


はて、誰かさんとは誰のことなのか。 ヒカリには皆目見当がつかない。
ただ、ここでそれが誰のことなのか聞くのは躊躇われた。 今目の前でにやにやとしているキャシーの追求がさらに深くなることを知っているからだ。


「キャシーが誰のことを言っているのかわからないけど、それはきっと勘違いよ」
「誰かさんとヒカリを見てたら勘違いもするよ」
「勘違いされるようなこと、私した覚えないもの」
「じゃあ、誰かさんに心当たりは?」


返答する代わりに、左右に首を揺らす。
その反応がじれったいのかなんなのか、キャシーはずいっとヒカリに顔を近づけた。


「チハヤ。チハヤのこと、どう思ってんの?」


ヒカリが何か言葉を紡ぐ前に、キャシーが迷いなくそう言った。 つまるところ、彼女はヒカリとチハヤの関係を疑っているのだろう。 意味もなくミルクティーをスプーンでかき混ぜながら、ヒカリはチハヤのことを思った。

ヒカリにとって、チハヤは安らぎをくれる人だった。 彼の十八番である料理も然り、さりげない気遣いや優しさはヒカリを癒してくれる。 チハヤはどこかどんくさくてのんびりしているヒカリをほっておけないらしい。 何かある度に、ヒカリは彼にお世話になっていて、それがもはや常になっていた。 ヒカリは素直に彼のことが好きだった。 ただそれが、キャシーが期待するようなものなのかどうか、自分でも判断できないのだが。


「チハヤくんか……、うん、好きだよ。ただ、」


それが恋なのかは分からないけれど。

そう続けるはずだったヒカリの言葉は、ぱりん、という破壊音によって遮られた。 思いもよらない音に、ヒカリもキャシーも音の方へ振り向いた。 振り向いた先には見るも無残な姿の白い皿と、やってしまったと額に手を当てているマイの姿。

少し間をおいて、キャシーとヒカリは視線をこちらに戻した。 するとキャシーは、はっと何かを察したように目を見開いた。 彼女はそのまま手を額に当てて、ため息をひとつ。


「あぁ…、そうか、そうだよね。あたし、考え無しだったよ」
「どうしたの、キャシー?」
「ううん、なんでもない」


ごめんね、

そろそろ帰らないとハーパーに叱られる、と帰りを促したキャシーが最後にそう呟いた。 独り言にも似たその小さな呟きは、はたして誰に向けたものだったのか。




120814. やわらかく、あたたかいもの // ふりそそぐことば
恋とはどんなものかしら?がコンセプト。まったりとお付き合いくださいませ。