もう太陽が見え始めて、周りは冬特有の景色が広がっていた。 ズシ、ズシ、と自分が前に進むたびに耳に届くのは雪の音。 自分が見る限り一面に白い結晶が覆いかぶさっている。 見慣れたこの町の風景に、ぱっとまるで違う町にいるかと思うような錯覚。
その白の中にポツリと目立つ、金色。

「クレア」

その愛しい姿に、呼びかけた。 それでも、クレアは振り向かなかった。否、振り向けなかった。 クレアの青くて澄んだ瞳から零れ落ちる熱いモノが邪魔をして。

「ねぇ、最後に笑った顔見せてくれるんじゃなかった?」

自分が意地悪だ、ということは百も承知。そんなこと、言われなくても分かっている。 でも、それでも見たかった。 最後にもう一度だけ、自分が愛したその笑顔を。 クレアは一向に振り向く気配を見せない。 そんな彼女に向けて、僕はとどめの一撃とでもいうかのように口を開いた。

「僕の最後のわがまま、聞いてくれるんじゃなかったっけ?」

意地悪な僕への罰なのか、冷たい風が吹き付けた。 ズシ、ズシ、と未だに自分の前を歩く少女のペースは変わらない。 ゆっくり、ゆっくり。音楽で言う、アンダンテ。

「…分かってる」

次第にそのペースは落ちていき、ついには雪を踏む音も聞こえなくなった。

「クレア」

もう一度、呼びかけた。 ゆっくり、ゆっくりと自分の見たかった愛しい人の表情が見え始める。 目にはいっぱいの涙。 それでも、笑ってくれているのは自分のわがままだから。 分かってる、僕は最低な男。

「…いってらっしゃい」

こらえて、こらえて。それでもクレアの目に溜まったモノは言う事を聞いてくれなかった。 ポロリ、一筋の雫が頬を伝って地面に落ちる。 それは、クレアにとっても自分にとっても我慢の限界だった。

「なんでそんな顔してるのさ。笑うって言ってたんじゃなかったけ?」
「そんな顔にさせてるのはどこの誰よ」
「僕、だろうね」

いつのまにか、クレアは自分の腕の中。 寒い風が何度も吹き付ける中、暖かく自分を包み込む。 もう、寒さなんて気にならなかった。

「ねぇ、私の最後のわがままも聞くのが礼儀というものじゃない?」
「…そうだね。でも、丁重にお断りしておくよ」

先ほどまで顔を胸にうずめていたクレアが苦笑して、僕の顔を覗き込んだ。

「やっぱり、あなたならそう言うと思ってた」

ぬくもりが、雪化粧をしたこの町に溶け込むように消えてゆく。 永遠の別れを惜しむように、自分の体は彼女のぬくもりを再び求めていた。 それでも、僕の決意はそれを許そうとしない。

「クリフ、さようなら」

もう、見慣れてしまったクレアのふわりとした笑みを見て、僕も彼女に微笑み返した。 そして足早に彼女を背にして歩き出した。 きっと、最後に僕の中で残る彼女が、あの表情であって欲しいからだったのだろう。 君が約束を果たしてくれたというのに、僕はどうにももやもやがおさまらない。 その理由に気がついたときには、もう振り返ることも不可能だった。




2006. 愛しきひと
僕が求めていたものは、君だったのに。(071101 - 加筆修正)